寺子屋|「菅原伝授手習鑑 」の最後を飾る演目のあらすじ・人物関係・感動の理由を体系的に解説

演目
【東京都立中央図書館所蔵】「菅原伝授手習鑑」

歌舞伎の名作として名高い「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋」ですが、登場人物の関係や身代わりの犠牲を払ってまで菅秀才助ける理由は様々に重なっており、こまかな部分は曖昧という方も多いのではないでしょうか。 この記事では初めて寺子屋を知る方にもわかりやすく、あらすじ・人物関係について解説していきます。

「寺子屋」の登場人物と人間関係を解説(関係図あり)

「寺子屋」の主な登場人物は以下の9人です。

名脇役!涎くり与太郎の重要性

よだれくり与太郎は”涎くり”の愛称で呼ばれる「寺子屋」の人気キャラクターです。寺子の一人ですが子役ではなく大人の役者が演じます。たくさんいる寺子の中で一番わんぱくで年齢も上の層に見えますが怒られると一人だけワンワンと泣くような子供らしい子供です。人気役者が担当することもあり観客を喜ばせることもしばしばあります。「寺子屋」は物語の性質上重い雰囲気は避けられないため、観客を疲れさせないためにも和ませる雰囲気を持つ涎くりの存在は重要なのです。

「寺子屋」のあらすじ

武部源蔵たけべげんぞうは自分が営む寺子屋の生徒達を見ながら険しい顔をしています。藤原時平ふじわらのしへいの家来から菅秀才かんしゅうさいの首を討って差し出すよう命令されてしまったのです。武部源蔵は是が非でも菅秀才を守るため、教え子の中に菅秀才の身代わりができる子はいないか考えていたのでした。そこへちょうど寺子屋に入学してきた小太郎という子があり、菅秀才に似た育ちの良さそうなたたずまいでした。

ついに藤原時平の家来一行が寺子屋に到着してしまいます。この場を取り仕切る春藤玄蕃しゅんどうげんばは菅秀才の顔がわからないため、菅秀才の顔を見極める役目で松王丸も同行しています。騒ぎを聞きつけて寺子の保護者が続々とわが子を迎えに来ており、松王丸の確認を通過した生徒は次々に帰宅していきました。いよいよ子供が全員帰宅したとき、机の数が帰宅済みの人数より一つ多いと武部源蔵は追及されます。覚悟を決めた武部源蔵は奥へ入り、入ったばかりの美しい少年を討ち菅秀才の首として差し出します。松王丸が首実検(たしかにその人の首か確認するの意)すると「間違いない」と言って受け取り一行は帰っていきました。松王丸は菅秀才がわかるはずなのになぜ菅秀才であると認めたのか、武部源蔵と戸浪は疑問でしたが難を逃れへたり込みました。
(以下画像:首実験する松王丸の様子として)

息つく間もなく今度は千代(小太郎の母)が小太郎を迎えにきました。ここで母親に身代わりにしたことがばれては菅秀才の命は守れないと、源蔵は千代にも切りかかろうとします。千代は「お役立てくださいましたか!」と聞いてきます。空気が凍り付いたところへ松王丸が戻り「倅は役にたったわやい、、」と千代に伝えてやります。
(以下画像:千代を切りつける武部源蔵のイメージとして)

千代は松王丸の妻だったのです。松王丸は菅丞相を左遷に追い込んだ藤原時平ふじわらのしへいの家来ですが、この仕事は菅丞相が三つ子全員が安定して働けるようにと取り計らってくれた故に就けたものでした。松王丸は恩義ある菅丞相の息子菅秀才を救うため、わが子を身代わりにする決意をしていたのです。武部源蔵の寺子屋に小太郎が入れば身代わりに選ばれるだろうと推測し、覚悟の上での寺入りだったのです。

小太郎の最期の様子を、松王丸と千代は泣きながら武部源蔵に聞きます。落ち着いてほほえみ立派な最期だったことを聞くと、二人は崩れるように悲しみの涙をながします。松王丸夫妻が小太郎のなきがらを受け取り葬儀の準備をすすめる頃、園生そのうまえ(菅秀才の母)が到着し親子は再会を果たして幕となります。

武部源蔵の菅秀才を守りぬく情熱はどこからくるのか

「寺子屋」は武部源蔵たけべげんぞう菅秀才かんしゅうさいを寺子屋に匿っている場面から始まりますが「菅原伝授手習鑑」には「筆法伝授」という演目が先にあり、寺子屋を始める前の武部源蔵が描かれています。
武部源蔵は以前、菅丞相かんしょうじょうの妻園生そのうまえの腰元(現在の妻:戸浪)と恋愛関係になったことが理由で勘当されています。同じ主人の館内の恋愛は命を奪われることもあるなか、勘当という処罰は寛大なものでした。そのような事件もありながら、菅丞相は武部源蔵を筆道の奥義継承者に選んでいます。こうした恩義が重なるところへ菅丞相が謀反人に仕立てられてしまい、お家断絶だけは免れさせたいと思う武部源蔵が菅秀才を預かることを申し出たのです。菅秀才を守ることは武部源蔵にとって最優先事項なのです。
(武部源蔵の過去は「筆法伝授」の記事でも解説していますので、興味のある方は読んでみてください。)

松王丸がわが子の犠牲まで払おうとした理由

松王丸は藤原時平ふじわらのしへいに仕える身ですが、主人が敵対視する菅丞相かんしょうじょうの息子(=菅秀才かんしゅうさい)を助けるため我が子の命という大きすぎる犠牲を払います。なぜそのような辛すぎる決断ができたのか本節で解説します。

  • 藤原時平の元で働き始めたいきさつ
  • 首実検の松王丸に見る父親の心

藤原時平の元で働き始めたいきさつ

「菅原伝授手習鑑」は三つ子の兄弟が随所で重要な働きをします。三つ子は菅丞相の家来の息子達であり、次男が松王丸です。三つ子が生まれた時に名付け親になり、三つ子がすべて貴族の元で働けるよう取り計らってくれたのも菅丞相なのです。こうして松王丸の父親は菅丞相の家来であり、松王丸自身は菅丞相に敵意を向ける藤原時平に仕えるという、三つ子の中で一番立ち回りが難しい松王丸なのでした。菅丞相の恩に報いるため、我が子という大きすぎる犠牲を払ってまで菅秀才を助ける覚悟を決めたのです。三つ子の兄弟については「加茂堤」の記事でも解説していますので、興味のある方は見てみてください。

首実検の松王丸に見る父親の心

討たれた首をみて本人か確認することを首実検くびじっけんといいます。菅秀才を討つ任務の統括は春藤玄蕃しゅんどうげんばですが、彼は菅秀才を見たことがありません。そのため菅秀才を知っている松王丸が首実検するのですが、差し出された首桶を一瞬あけ動揺をほとんど見せずに首桶を閉じる姿に張り裂けるような父親の苦しみが見て取れます。松王丸が見なくてはならなかったのは菅秀才ではなく大切な我が子の首なのです。現代人が仮に不幸にもこのような試練に直面してしまった時、松王丸のように耐えられる人などいないのではないかと思います。のちに千代に「倅は役にたったわやい、、」と告げるまで涙も見せなかった松王丸に、忠義に従わねばならなかった人間の辛さを感じて観客は涙し、今日まで受け継がれる名作となったのです。

千代と園生の前 二人の母が居合わせる残酷さと報われる思い

「寺子屋」の中には二人の母が登場します。菅秀才かんしゅうさいの身代わりとして逝った小太郎の母千代と、菅秀才の母園生そのうまえです。相反する境遇の母達について本節で解説します。

  • すべてを知りながら寺入りする千代と小太郎の覚悟
  • 数々の尽力者によって救われたわが子との再会

すべてを知りながら寺入りする千代と小太郎の覚悟

寺子屋の冒頭には千代が小太郎を寺子屋に入学させる「寺入り」という場面が描かれることがあります。品の良い親子が習い事の初日に淡々と臨むように見えますが、千代も小太郎もこれから菅秀才の身代わりになることを知っているのです。小太郎は舞台を見る限り、大きくても小学校3年生くらいに見えますが人生の最期に向け落ち着いて振舞える立派さがあり、松王丸と千代がいかに大切に育て教育してきたかがうかがえます。大切に育てればこそ今から小太郎に起きることを思い千代も冷静でいられないはずですが、取り乱さない千代にも並々ならぬ覚悟を感じます。こうした親子の姿も「寺子屋」が約280年観客を惹きつけてきた要因といえます。

数々の尽力者によって救われたわが子との再会

園生の前は意図的にタイミングをあわせたわけではないと思いますが、松王丸夫妻が小太郎のなきがらと対面し悲しみの絶頂にある時に菅秀才を迎えに来ます。舞台上には子を失った悲しみに直面した母と、子に再会できた母が居合わせてしまう構図となります。特に千代の心情を考えると複雑な心境になる観客は多いように思いますが、我が子という大きすぎる犠牲を払ってまで助けた菅秀才が母親と無事再会したことは、受け入れがたい苦痛はあってもその辛さが報われたことを見届けた瞬間でもあります。

園生の前だけが優遇されているようですが、園生の前は戸浪となみ(武部源蔵の妻)の腰元時代の主人でもあります。武部源蔵との恋のため館から追放された後も園生の前は戸浪を大切にしています。(園生の前と戸浪の歴史については「筆法伝授」の記事でも解説していますので、興味のある方は見てみてください。)身分を問わず注いだ思いが恩となり、丁寧にそれを背負う人々の姿もまた「寺子屋」が観客を惹きつけ続ける理由でもあるのです。

寺子屋の壮絶な忠義の板挟みから現代人が学べること

「寺子屋」は大きすぎる犠牲を払ってまで忠義を貫く物語ですが、初めて見た方にとって「忠義はそんなにも大事なものですか、、」と衝撃を受ける演目でもあると思います。本節では忠義の物語を現代人が見ると学べることとして、筆者なりに考えたことを記載します。

  • 忠義とは何なのか
  • 忠義を礼賛しているわけではない

忠義とは何なのか

現代人に忠義の感覚はありませんし、仮に忠義を求められても全力で逃げていくと思います。歌舞伎ファンの筆者も例外ではありません。
話が少々逸れますが赤穂浪士の討ち入りがあった1702年の時点で、江戸の市民の大半は仇討ちに消極的であったとも言われています。それでも討ち入りを決行した四十七士を市民が英雄視したのは忠義を貫く行動を賛美する心理というよりも、喧嘩両成敗とせず浅野内匠頭あさのたくみのかみだけを即日切腹にした幕府の不公平さに対する庶民の反抗として受け止められた側面があるのです。
数十年の時を経て1746年「菅原伝授手習鑑」、1748年「仮名手本忠臣蔵」が義太夫狂言として大ヒットしていきます。数十年間に江戸の市民の感覚はさらに忠義から離れた面もあると筆者は思いますが、それでもこうした忠義をテーマにした作品が観客の心を打つのは江戸の市民にとって忠義の辛さが切実であったことと、誰しも経験したくない辛い描写をいれることでかえって生身の人間の姿があらわになり演目に命を吹き込む効果があるからではないかと思います。

忠義を礼賛しているわけではない

歌舞伎が苦手な方は忠義や家族の犠牲の物語が多いことも苦手とする理由になるかもしれません。歌舞伎が苦手な方が当ブログを読んでくださることはないと思うのですが、念のため記載したいことがあります。それは「寺子屋」はじめ忠義がテーマの歌舞伎狂言が現代も上演されていますが、忠義を礼賛する意図はもちろんありませんということです。辛い話が演劇として成立するからには題材となる事件や文化が数多くあったのですが、そういった時代を経て平和な現代になったことに思いを馳せる契機にもなるかと思います。「寺子屋」は辛い話ですので、トラウマ的に衝撃を受ける方もおられることと思いますが、気持ちが落ち着いた時にはご自身の糧になっていることを筆者は歌舞伎ファンとして願っています。

まとめ

  • 武部源蔵たけべげんぞう菅秀才かんしゅうさいを救うために非道な行動をしたのは、菅丞相かんしょうじょうに命を救われ筆法の奥義も伝授されたという恩義があるため。
  • 菅丞相と敵対する藤原時平ふじわらのしへいの家来である松王丸が菅秀才を救うため我が子を犠牲にするのは菅丞相の取り計らいにより今の自分があるという恩義に報いたいと思っているため。
  • 子供を失った松王丸夫妻と子供に再会できた園生の前が居合わせる場面は、残酷だが松王丸夫妻の思いが報われる一つの形ともみることができる。

「寺子屋」は忠義と親子の愛情を軸に立場のちがう人々が絶妙に交錯する名作です。初めて観劇される方は驚く部分も多いかと思いますが、見て損にはならない傑作ですので興味のある方は公演のあった際にぜひ見に行ってみてください。

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