義経千本桜「すし屋」とは——あらすじと人物関係でわかる庶民の忠義と感動の結末

演目
【東京都立中央図書館所蔵】「一守九字成大漁」より

「義経千本桜」の三段目「すし屋」は、庶民の家を舞台にした人間味あふれる場面です。名前は聞いたことがあっても、実際のあらすじや登場人物の関係まではわからないという方も多いのではないかと思います。この記事では、物語の流れを現代語でわかりやすく整理しながら、武家中心の世界から庶民の視点へと転じる「すし屋」を、忠義・親子愛・社会的背景の三つの側面から読み解きます。観劇前後の理解を深める一助となるはずです。

義経千本桜「 すし屋」のあらすじを整理して全体像をつかむ

「義経千本桜」という本外題(歌舞伎の演目のタイトル)から考えると武家の話が想像されるかと思いますが「すし屋」は庶民が中心となるお話です。物語の流れと舞台背景を整理することで、「すし屋」が「義経千本桜」全体に対して与える演劇的効果や、庶民が主役になる場面も必要であったことが見えてきます。
この章では、物語の概要を現代語でやさしく整理しながら解説していきます。

  • 「すし屋」の主な登場人物(図解あり)
  • あらすじを簡潔にまとめて流れを理解する

「すし屋」の主な登場人物(図解あり)

「すし屋」の主な登場人物は以下の9名です。

あらすじを簡潔にまとめて流れを理解する

すし屋を営む弥左衛門やざえもん平維盛たいらのこれもりを奉公人の弥助ということにして匿っています。弥左衛門は平重盛から恩義を受けているため、維盛を守ろうとしているのです。息子の権太ごんたは度が過ぎる放蕩のため勘当してしまいました。権太の妹お里は弥助に好意があり、弥左衛門としても娘と維盛が夫婦になる方が目立たないため二人の結婚を勧めています。

権太が実家のすし屋に来て母にお金をねだり受け取った矢先、弥左衛門が帰宅したので権太は近くのすし桶にお金をしまい隠れます。そうとは知らない弥左衛門も、持ち帰った荷物を隣のすし桶にしまいました。

お里は弥助と夫婦らしい雰囲気になるよう仕向けますが弥助の反応はつれません。お里がひとまず寝ようと布団へ入ったころ、弥助の妻若葉内侍わかばのないしと息子の六代君ろくだいぎみがたずねてきて再会を喜びあっています。弥助には妻子があり、高貴な身分であると気づいたお里は、恋心を抑え込み維盛親子を弥左衛門の隠居先へ逃がします。

やりとりを見ていた権太は事情を察し、先ほどお金を隠したすし桶をもって去っていきます。
源氏の武将梶原景時かじわらかげときが弥左衛門のすし屋に来て、維盛の首を差し出すよう求めます。すると権太が縛り上げられた若葉内侍わかばのないし六代君ろくだいぎみを連れてやってきました。二人を梶原景時にひきわたし維盛の首桶を渡します。景時は桶を確認し「維盛にちがいない」と認め、褒美として陣羽織を権太にわたして帰っていきました。

維盛を守ってきた弥左衛門は、放蕩息子がすべてぶち壊したと思い権太を切りつけます。深手を負った権太は経緯を話し始めます。お金を隠したすし桶を持ち帰ったはずが、中には生首が入っていたので「弥左衛門が偽首を使って維盛を守ろうとしているのだ」と理解したと権太は絞り出すように話します。父に加勢するため、自身の妻子を若葉内侍わかばのないし六代君ろくだいぎみの身代わりにして景時に差し出したのです。改心するタイミングをつかめずにいた権太は、いまこそと決意し多大な代償をはらい維盛親子を助けようとしていたのでした。

維盛が姿を現し、権太が褒美にもらった陣羽織の裏面の指示書きに気が付きます。指示どおりにほどくと袈裟と数珠がでてきて、源頼朝は維盛の命はとらず出家させようとしていたことに気づきます。権太は多大な犠牲を払った結果として命を落とすことになりますが、力尽きる間際に改心した姿を実家の家族に見せることができ、嘆かれながら息をひきとり幕となります。

庶民の家「すし屋」で描かれる忠義と犠牲の物語

「すし屋」が面白いのは武士ではなく庶民の一般家庭を舞台にしている点です。「義経千本桜」という本外題が示す通り初段と二段目は武士の物語が展開されますが、一転して三段目は庶民が主役となるのです。弥左衛門のモデルとみなされる人物はいたそうで、モデルとされる寿司店は今も奈良県に存在します。
源平の戦いは国を揺るがす過酷なものであり民衆への影響も多大にあったとされる一方で「すし屋」のような身分を超えた交流が頻繁に起きたとは考えにくく、それでも町人からの視点で描く場面をいれる点に歌舞伎の特徴が良くあらわれています。武士から町人へ大きく視点を転換させ長編物語を面白くする工夫として市民が主役の演目が作られていると考えられます。歴史上の正確さよりは観客が喜ぶことを重視する歌舞伎の特徴が、見事に花開いた好例として「すし屋」もとらえることができるのです。

登場人物と相関関係で読み解く「親子の情と忠義の葛藤」

「すし屋」では、登場人物たちの立場や関係性を通じて、血のつながりを超えた「情」と「忠義」の対立が描かれます。
この章では、親子・男女・主従という3つの関係軸から、それぞれの人物がどのような思いで行動したのかを読み解きます。

  • 権太ごんた弥左衛門やざえもん――父と子の断絶と和解
  • お里と維盛――庶民と貴族の出会いが生む悲しい緊張感
  • 梶原景時かじわらかげとき詮議せんぎ――正義と権威のはざまで打った一芝居

権太と弥左衛門――父と子の悲しすぎるすれ違いの物語

弥左衛門と権太の関係は「すし屋」のメインテーマです。弥左衛門は職人気質の父であり、権太が放蕩息子とくれば相性は最悪に見えます。しかし権太は救いようのない悪人かというとそうともいえない場面がいくつかあります。
これまで「義経千本桜」の三段目「すし屋」と表記してきましたが、三段目の中にも複数の演目があり「すし屋」の前に「木の実」という演目もあります。ここでも権太は悪事をはたらきますが、妻子との関係はすこぶる良いのでした。最終的には改心して父に加勢し、維盛一家を救おうとするがうまく嚙み合わず命を落としていきます。実直な父のマインドは放蕩息子にも受け継がれていたことが権太の死に際に露わになることが、ドラマティックでもありタイミングのずれすぎた親子の悲しさが観客を惹きつけることにもなっています。

お里と維盛――庶民と貴族の出会いが生む悲しい緊張感

お里と維盛これもりの関係は、「すし屋」に独特の緊張感と温かみを与えています。お里は弥助の正体が平維盛と知らないうちは恋に積極的な町娘でした。ひとたび維盛であると知ってからは若葉内侍わかばのないしに対抗心を燃やすこともなく、結婚を勧めてきた父に恨み言を言うこともありません。それどころか舞台上で維盛達と同じ部屋にいる間、ついたてを間に置き非常にわきまえた姿勢を見せます。そこには懸命に維盛一家を支え救おうとするお里の強い心がみてとれ観客の感動を誘います。
維盛にしてもお里の好意に気が付いているものの、弥左衛門やお里から良くしてもらっている手前意に沿うように立ち回ってやりたいやら傷つけたくないやらで、つれない草食系男子のように振舞わざるを得なかったのです。どういうわけか出会ってしまった貴族と庶民の人間ドラマは演劇らしい感動を観客に与えてくれます。

梶原景時の詮議――正義と権威のはざまで打った一芝居

梶原景時かじわらかげときは、鎌倉方の重臣として首実検くびじっけんを行う立場にありますが、冷徹一筋ではありません。舞台上で景時は武家の秩序を守る権威の象徴的存在ですが、権太や弥左衛門の人間的な情にも心を動かされています。首実検の場面では厳しい態度を保ちながらも別人の首を見て「維盛にちがいない」と芝居を打ってくれています。それは維盛が対外的には亡くなったという話を作り上げ、維盛を生かしてやるために必要なことでした。これは源義経が平清盛に命を救われた恩に報いるべく維盛を救おうとしていたためで、世代をまたぐ恩義を理解し義経の思いを実現させた梶原景時も「すし屋」において重要な人物と言えます。

「すし屋」で一番難解!?小せんと善太の犠牲について筆者なりに解説

現代人にとって一番理解に苦しむのは権太ごんたが妻子を身代わりに差し出す点ではないでしょうか。ここについては息絶えようとする権太が語っています。
弥左衛門の秘密に気づいた権太は加勢したいと考え、その様子から事態を察知した小せんは自ら身代わりを申し出てくれたが「ひどいことをさせてしまった」と悔みます。命がけの身代わりなど人に頼める話ではなく、申し出てくれたからといって「ではよろしく」と平気で言える人間はそうそういないのではないでしょうか。
これは筆者の推測ですが、権太が身代わりをさせたのは父親のために冷静さを失っていたことと、できすぎた妻へ甘えてしまったことがあるように思います。その責めは父弥左衛門の刃として権太にかえってきており、弥左衛門は子供を手にかけた苦しみを抱えながら生きる責めを負っているのかもしれません。権太が改心でき弥左衛門に伝えられたのは小せんの献身によるところが大きいように思います。このような命を引き換えにした人間ドラマの重奏は答えがすっきりでないこともありますが、演劇鑑賞ならではの衝撃として鑑賞された方の良い糧になることを筆者は願っています。

まとめ:なぜ「すし屋」が今も多くの人を魅了し続けるのか

  • 源平の戦いを舞台に展開する長編物語のなかで、主役を武士から町人に切り替えた大胆な展開が良いリズムを生み出している
  • 親子・夫婦・主従という多層的な人間関係に加えて出会うはずのない貴族と町人が出会ったが故の物語展開が面白さを押し上げている
  • 権太ごんた」「お里」「弥左衛門やざえもん」など、誰もが共感しやすい人間味のあるキャラクターが揃っている

「義経千本桜」三段目の「すし屋」は、時代を越えて観客の心を打ち続けています。その理由は時代劇に多い忠義の物語にとどまらず、出会うはずのない貴族と庶民が出会うことであぶりだされる「人間らしさ」が巧みに描かれていることにあるのではないでしょうか。妻子の犠牲といった現代人にとって首肯しがたい描写もありますが、観劇体験として見て損にはならない作品です。本記事が歌舞伎に興味を持った方、歌舞伎を大切に思う方のお役にたちましたらうれしく思います。

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